
格闘技の試合で、レベルの高い技を見ると感動する。狙い澄まして合わせ、スパッと決める。技を受けた方も瞬時に意識を刈り取られるから、何が起きたのかが分からない。
この真逆が「泥仕合」。
どつき合い、ガマン比べ、体力勝負。相手も意識と戦意が残っているから、体力が続く限り戦い続けてしまう。
最近の私。この「泥仕合」をしなくなった。と言っても格闘技ではなく対人関係の、ね。
私に対して「文句を言う」という形で「感情のはけ口」にしようとする人がいる。しかも、お客さんとか、親戚筋にそういうのがいるのよ奥さ~ん(苦笑)。
その方々からもお仕事を頂いているから、なるべく我慢するようにしていたけれど、「そんな人の仕事いらないよね~」「そんな親戚とは付き合いを断てばいいんだよね~」と思うようになった。
実際来てくんなくなったら困るし、商売としては苦しくもなるけれど、「我慢」をしなくていいから楽。
最近「あぁ、この人、感情をぶつけに来るな」というのが何となく読めるようになってきた。そんな時は何か言葉を発する前に
「それならよその工場に行ったらいいっちゃ」
「うちではできねよ~」
とスパッと斬るようになった。
一見「冷たい」ように見えるかもしれないけれど、「泥仕合」をしなくていいから、結果的にはお互い楽なんだよね。
そうやってスパッと斬ると、後々引きずらないし、モヤモヤも残らない。
それでいいんじゃないかな。
「習い事」とか「セミナー」、あるいは「新興宗教」でもそうですが、生徒や信者が「上達されると困る」のです。
「???」と思った方もいらっしゃると思いますが、「上達されると困る」これは主催者側のホンネなのです。
「上達するために通っているのに、先生は上達させないようにしているの?」不思議に思うかもしれませんが、その通りなのです。
上達すると、通ってくれなくなるから。お金を落としてくれなくなるから。だから「上達されると困る」のです。
もうそんなセミナーに翻弄され、悩まされ、大切なお金を奪われるのは止めにしませんか?
自分の本来持っている輝きに「気づく」それが第一歩です。
詳しくは >>> こちら