仙台の鈴木@道場長です。
合気道に限らず、武道に取り組む方々は、様々な動機で武道に取り組んでおられると思います。合気道の場合「和合」とか「愛」という言葉が稽古の中で登場するし、試合をすることもありませんから、勝ち負けを決したり争ったりせず、和気あいあいという雰囲気の中で稽古が行われる事が多いですね。
それはそれで合気道のいいところだとは思うのですが、せっかく開祖が「武道」として合気道を残してくれたのですから、武道という側面をもっと追求して欲しいと思うのです。例えば海外へ出かけて、言葉も何も通じないまま強盗に襲われる。そんな状態で「和合」だの「愛」だの言ってられるのかという事なんです。ぶん投げて、拳で殴って、後頭部から地面に叩きつける。そういう事ができなければ、自分の命が危ない。自分の命を守れなくて武道を学んでいると言えるのかという事なんです。
「そういう状況に陥らない事も大切だ」という意見もあろうかとは思いますが、そういう状況に陥った時にもそう言えるのかと。騙されて取り囲まれる事だってあるでしょうに。「私は相手を傷つけるために合気道を学んでいる訳ではない」という意見も同様ですね。その意見はすばらしいけれども、やはり殺されてしまっては意味がない。
肉食動物になれとは言いません。でも合気道を学ぶ人たちには草食動物な人が多いように感じます。いやむしろ、「草」という人すらいますよね。せめて「必要ならば牙を剥く草食動物」であってほしいと思います。
では~