仙台の鈴木@道場長です。
「お説教」に反対します。
お説教する側は「止めさせよう」「変えさせよう」という上から目線の意識が働き、お説教される側は人格の否定や、尊厳を奪われるように感じるからです。
私は子供の頃、よくお説教されました。正座させられて、延々とくだらないお説教を聞かされました。お説教されている間はひたすら屈辱感に耐え、燃え上がる反抗心を抑えるのが大変でした。今考えると、私が子供の頃のお説教は残念ながら逆効果でしかなかったようですね。
「お説教」は、相手を尊敬しているとか、信頼関係がある時に効果的ですが、そうでない限りは逆効果にしかなりません。その場はおとなしくハイハイと聞いていても、お説教が終わったとたんに舌を出して、別の形で問題が吹き出すだけです。
私は息子にお説教したことはほとんどありません。「それじゃいけねぇ」「これはこうしないとダメなんだ」そう言うに留めます。怒りに任せて怒鳴ったり、叩いたりすることは簡単なのですが、それで息子が本当に変わるのかと。多分変わらないでしょう。せいぜい「怒られるからやらない」という程度の理解で終わってしまうはずです。私は息子に、その程度の理解ではなく本質的な理解を求めていますから、言葉はできるだけ少なくして、あとは考えてもらいます。
延々とくだらないお説教をする家風は、私の代で断ち切ります。私の目の前でお説教している人がいたら、即座に止めさせて延々とお説教してやりますから、そのつもりで(笑)