気づき

夫婦喧嘩を論理的に分析する

投稿日:2014年10月10日 更新日:

仙台の鈴木@道場長です。

私は決して聖人君子ではなく、喜怒哀楽、様々な感情を持つ人間である。なので、他のご夫婦同様に、よく夫婦喧嘩というものを行っている。私達夫婦がよく喧嘩するパターンを定性・定量的に分析したところ、だいたい以下のパターンで夫婦喧嘩に至ることがこれまでの観測で判明している。

①私が行動を起こして誰かが笑顔になる。
②私がそれを嬉しそうに話す。
③妻はそれが面白くない。だから否定する。
④私は否定されるのが面白くない。だから反撃する。
⑤妻はどこまでもどこまでも反論する。
⑥私は激しく怒る。
⑦妻は泣く。
⑧1~3週間口をきかない。

私は理系なので④で論理的に反論するが、⑤で妻から感情的に反論される。妻の出発点は感情だから、論理的な反論はどうしても受け入れてもらえない。それに対して私は相手が非を認めるまで、論理で徹底的に追い詰める。しかし負けず嫌いの妻は感情でどこまでもどこまでも反論する。なので最終的に⑥になる。

⑥まで行くと、ちゃぶ台をひっくり返す勢いだし、厳しい言葉も使う。妻の記憶には、私が叩きつけた厳しい言葉、怒った顔、それしか残らず「怒った私が悪い」という結論だけ残る。そうなってしまうと、なぜそうなったのか、どうすれば回避できるのか、そういう論理的な思考ができなくなってしまう(思考停止状態)。だからそこから何かを学ぶことはなく、また同じことを何度も繰り返す事となる。

さて、現状の分析が出来たところで回避策を検討したい。

大前提を言えば、自分でコントロール可能なのは自分自身だけであって、自分以外の他者はコントロールできない。「他人を変えることはできない」は真理である。故に③⑤⑦は私のコントロール外である。となると、コントロール可能な①②④⑥のみ議論するのが妥当であろう。しかしながら、④⑥に関しては「既に弾丸が発射された状態」、つまり止めたり戻ったりができない状態であり、我がことながらコントロールが不可能である。なのでここでは①②についてのみ議論する事とする。

①を止めることはできるだろうか?答えは「否」である。私は人の笑顔のために生きているので、①を止めたら私がこの世にいる意味がない。なので①を止める事は絶対に有り得ない。

残るは②のみである。これを止める事は出来そうだ。すなわち①で人の笑顔を引き出して、多くの方から、心からの感謝やねぎらいの言葉をもらったとしても、その喜びを妻と分かちあわず、自分の胸にしまっておくということである。この試みはある意味失敗でもある。夫婦の会話が激減するし、何よりも夫婦で喜びを分かち合えないからだ。だが③~⑧に進むよりはよほどいい。「怒り」というものは多大な精神的エネルギーを消費する上、何日も尾を引くからである。

私からの②を止めるという回避策はある程度有効であることは実験的に確かめられている。しかしここで、②を引き出そうとする試みが妻からなされる場合がある。例えば「ねぇ、今日何があったの?」「誰と会ったの?」など、私から②を引き出そうとする言葉の数々である。これはある意味挑発であり、これに乗ったらたちまち③~⑧のコースをたどることになる。妻による②を引き出そうとする試みに対する有効な対応策は「あんまり面白いことなかったな」「誰とも会わなかったよ」という言葉である。あとは夕食を食べながらテレビを眺めていれば、会話は自然と消滅し、③~⑧の定番コースを無事回避できる(それが夫婦のありようとして正しいかどうかは、ここでは議論の対象から外す)。

果たして私のこの理論は世の中に通用するものなのだろうか。私は上記の理論をFacebook上で展開し、世に問うこととした。そうしたところ、世界中の友人から、様々な形でアドバイスを頂戴した。それらアドバイスも加味し、現在の私の結論とするところを以下に述べる。

・良くも悪くも、妻は私の鏡像である。
・夫のありようが、妻の反応として外部に現れている。
・望まない反応を妻がしている場合、
それは妻側だけではなく、夫側にも何らかの問題があるということである。・
・妻を怒鳴ったり、悲しませたりするという事は、
鏡に写った夫自身に怒鳴ったり、悲しませたりするということである。

如何だろうか。上記結論はもちろん、夫である私からの目線で書かれたものであるが、夫と妻を入れ替えても何ら違和感がないということに、賢明なる読者諸氏はお気づきの事であろう。

この件は継続的な観測が必要である。私達夫婦の今後の展開に刮目していただきたいと切に願う。

では、ごきげんよう。

-気づき

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