※これはAmebloに2013年に投稿した記事をリライトしたものです。
今日思ったことをつらつらと。私個人の思いなので、勘違い等があってもご容赦頂きたい。
とっくに崩壊した終身雇用制度と大学生の就職難
私が就職した1995年は、阪神大震災が関西地方を襲い、オウム真理教がサリンを撒き、Windows95がもてはやされた年であった。
当時から就職難は始まっていた。工学部の女子学生は、もう就職できなかった。文経はもっと酷かった。専攻を生かした就職なんてできなかった。
一方学生を受け入れる側の企業は、年棒制や成果主義を導入し始めていた。定期昇給は保証されなくなり、社内での給与格差が生まれ始めていた。
定期昇給や終身雇用制度の元、安心して人生設計ができていたのだが、それができなくなった。
「できる人ができない人を支える」という「やさしさ」が企業から失われ始めた。年長者を敬う事なく、仕事ができるかどうかが全ての価値判断基準となった。
その結果「いじめ」が企業内にはびこり、下請けの企業にまでそれが及ぶようになった。子供の世界は大人の縮図でもあるから、当然子供の世界にもいじめがはびこるようになる。
できる人はより高い年棒を求めて転職を繰り返す。できない人は退職を勧告され、定年前に放り出される。企業はできる人を転職会社から調達し、安い人材は派遣会社から調達するようになった。
企業から「人を1から長い時間をかけて育てる」という風土が失われ始めた。
新卒を採用しても、ちょっと仕事を覚えたら転職してしまう。そんな目に遭ってまでじっくり人を育てる位なら、外部から安く調達してしまおう。企業がそう考えるのも無理もない。
かくして新卒の採用の間口がだんだん狭くなっていく。その結果就職できない学生が世に溢れる。
それが20年前のこと。
今の大学生が、学問そっちのけで3年生から就職活動をしなければならないというのは、こういう背景なんだと思う。
小学校から大学までの教育は今の世の中に合ってる?
では、大学はどうなのか?高校は?中学は?その前の小学校は?
悪い言い方をすれば、小学校~大学までは、「終身雇用と定期昇給で社員の身分を保証している会社」に就職させるための「訓練校」とも言える。つまり文句も言わず、上長の言うことをよく聞いて、定年まで黙々と働く、そんな人材を16年かけて訓練する場、それが「学校」なのである。
だが最終的な受け入れ先である企業が、すでにそういうシステムになっていない。それでも学校はそういう人材を育成し続ける。学生は次々と卒業してくる。だけど企業が受け入れない。就職できない大学生が増えるのは当然なのである。
教員は無力だ。彼らはそもそも会社務めをしていない。自分がこれから子供たちを送り出す世の中の事は、実は分かっていない。今の学校教育が世の中に合っていないことに気がつくことができないのである。
ニートや引きこもりは異常?
学校に行かずに、部屋から一歩も出ない。無理に行かせようとすると、身体の異常を訴える。そういう子がどのクラスにも必ずいる。
中学校までは義務教育だから、出席しなくても卒業はできるが、高校からは休めば出席日数が足りなくなる。そうなれば留年するか、退学するしかない。そうなると学歴は「中卒」となってしまう。
その子達は「異常」なのだろうか?「落ちこぼれ」なのだろうか?
私はそうは思わない。
今の学校が、世の中に合っていない。その事を敏感に察知した子の魂が、SOSを発している。それが身体の不調となって現れているのではないか。
つまり、今の教育システムに合わせている子の方が異常なのであって、合わない子の方が実は「健全」なのではないか、と私は考えている。
「お前は異常じゃない、健全なんだ」
今は家から出なくても、パソコン一台で出来る仕事というのが沢山ある。誰とも会話しなくても、お金を稼ぐ事ができる。そういう仕事があるんだという事を、ニートやひきこもりの子に教えたい。
そしてこう言いたいと思う。
「お前は異常じゃない。健全なんだ」